2021-04-23 第204回国会 衆議院 内閣委員会 第21号
会社ごとに必要な人材を採る基準があって、もちろん、英語力とか論理的思考能力とか社会常識とか、ペーパーテストをやるところもあるかもしれませんが、公務員試験って要りますかね、今どき。 つまり、枠を狭めちゃうんですよね。採りたい人たちを狭めちゃう。しかも、その試験はペーパー試験が中心で、マークシートの第一次、論述の第二次、そして面接です。私たちの頃は面接なんてほとんど形式的でした。
会社ごとに必要な人材を採る基準があって、もちろん、英語力とか論理的思考能力とか社会常識とか、ペーパーテストをやるところもあるかもしれませんが、公務員試験って要りますかね、今どき。 つまり、枠を狭めちゃうんですよね。採りたい人たちを狭めちゃう。しかも、その試験はペーパー試験が中心で、マークシートの第一次、論述の第二次、そして面接です。私たちの頃は面接なんてほとんど形式的でした。
そのときに、私自身の考えではありますけれども、やはりこの少人数学級で実現をしたいものということをみんなで議論をしたときに、もちろん学力というのは非常に大事なんですけれども、大体どなたもペーパーテストの点数が伸びるということを目指したいとおっしゃる方は余りいらっしゃらないわけなんですね。
質問したいのは、その学習の効果というのが、恐らくペーパーテストで点数というところで、今はそういったところで測るしかなかなか方法がないのかなと思うんですけれども、実際、名古屋市教育委員会でのこの研究報告で、九ページのところに、保護者の方のアンケートでしょうか、数字が載っております。保護者の皆さんは、少人数学級の方が学力また規範意識が育つと考えていることが分かったと。
今回の法案にはその検討事項として少人数学級の効果検証と、条文には学力の育成という観点も例示されているわけですけど、改めてその学力といったときに、先ほど来あるとおり、数値とか学力テスト、ペーパーテスト、もう点数ではないところにその効果が見られるのではないかというのがこの今の委員会での議論、ずっと出てきていると思うんですけれども、中嶋先生の資料でも学力フェティシズムの行き詰まりがあると。
○政府参考人(金井昭彦君) 私どもの試験におきましては技能試験を課しておりまして、いわゆるペーパーテストと、あと実技試験を課しておりまして、そのテストに合格すれば受け入れるということになっております。
ペーパーテストでかなり難しいテストを受ければ受かるというものなので、お勉強ができる人は受かるんですけれども、実技が今試験の中に組み込まれていないということも課題の一つなのではないかなと、安全性を確保できないというところが一つなんじゃないかなというようなお話が上がっておりました。
ペーパーテストによる一発勝負ではなく、法科大学院、司法試験、司法修習というプロセスで法曹養成教育をするというものであります。 まず、司法試験一発勝負という弊害、これもよく言われますが、では、弊害というのであれば、その具体的な根拠を事実とともに明らかにすべきでありましょうが、説得的な論拠は何も提示されていないと考えます。
幾ら難しい試験だとはいえ、ペーパーテストだけで専門職に必要な高度な教育水準を確保することができるかは疑問が残るところです。司法書士会連合会の試験の合格後の研修を見ると、二か月間の研修をしてようやく実務を覚えるということをしていると聞いております。国で定めている資格と現場とのギャップはそこにあると思います。
全く私、同じ問題意識を持っていまして、ですので、やはり日本の稼ぐ力というか、要はこれから日本の飯の種が何なのかというところに関して、やはり中長期的な、もう一度その成長戦略をしき直すべきだと思っていまして、特に今のような、大学に関しても全く同じ問題意識なんですけれども、要は、これまでの大学教育というのは、非常にペーパーテストに偏った、つまり社会に出てイノベーションを起こしたり、起業をしたり、要は新しい
また、実施方法について、ペーパーテストやあるいはコンピューターを用いたテスト、あるいは実施言語についても各省庁で詰めていると。そのほかの分野においても、関係省庁において、平成三十一年度中の試験実施に向けて所要の準備を進めているものと承知しております。
例えば、知的障害者に関しては、ペーパーテストだけじゃなくて、特別支援学校時代の様子、あるいは前に通っていた福祉施設での様子、こんなことも加味して、日常的なことも加味した、そういうふうな試験方法が要るのではないかな、こんなふうに思います。精神障害者も若干配慮が要るかもわかりません。 また、今度の基本方針にも入っていますけれども、実習しながら様子を見ていくということも大変有効ではないかなと。
○白石委員 採用には、ペーパーテストだけじゃなくて、これまでの現場における様子とか、あるいは専門家による面接、これを加味する、あるいはその比率をずっと大きくするということが示されたと思います。しっかりと受けとめて、また反映させていただきたいと思います。 本日は、まことにありがとうございました。
そうは言っても、子供たち、長い人生の中でいろんな壁にぶつかりますので、それを乗り越える力、それは、目に見えるペーパーテストの学力の点数だけではなくて、非認知能力なりなんなり、経験、体験、つながり、そういうところも大事、そうじゃないとその壁を乗り越えていく力にならないだろうということです。 三つ目は、どうしても貧困という言葉はきついです。経済的な要因だけで捉えられやすい。
映像授業なんかでそれぞれの学習段階に応じた、習熟度に応じたサービスできるわけですけれども、学校はまだまだそういう意味ではマスでございます、ペーパーテストで一点単位で人を評価するとかですね。 そういう意味で、一番下にありますように、かつては教師という方々が社会のある意味で知恵を独占していたという時代があったと思います。宗教改革の前の教会の神父さんと同じだと思うんですね。
最初に入学の選考基準をお聞きしたのは、ペーパーテストを行ったりする学校の場合であれば、私立学校同士で提携があれば、他の私立学校への受け入れもできるということを承知しておりました。しかしながら、提携の私立学校がない場合は、当然、もし小学校に入学を予定していた児童が、入学できない、もしくは辞退した場合は、住所地の区域にある公立の小学校に通学することになると思います。
つまり、入学の許可というのは、ペーパーテスト、学力試験があったのか、面接だけだったのか、把握されていることをまずは教えていただきたいと思います。
大阪府によりますと、入学基準については各学校で定めるものであり、詳細は承知していないということでございますけれども、瑞穂の国記念小学院の入学希望者に対する審査は、ペーパーテスト、口頭試問、行動観察等を踏まえ、面接で総合的に判断しているということでございます。
さらに、先ほど上野先生から御指摘があったとおり、海外の研究をひもといて、まずは日本の教育を論じているときに海外の研究を引用する、それは参考までならいいんですが、その中で特別支援教育において学級規模と学力の間に有意な関連は見られないという指摘は、これは、障害による困難をいかに克服していくかということのために特別支援教育を行っているわけでございますが、全て学力、ペーパーテストの結果だけで子供たちを測ろうという
じゃ、どうしたらいいのかといって、ペーパーテストで点数付けるというわけにもいかないなと。 じゃ、一つの例としては、まず、一つの本を読んで、それか伝記を読んで、それに対する意見をみんなでディスカッションしましょうということがありましたと。
保育士が足りないというわけなんですけれども、実は、この現場の保育士さんから言われたのは、今保育士をふやすためにどんどんペーパーテストで保育士が合格をして、現場の経験がないままそういう人たちが入ってくると。 現場では、その保育士さんは配置基準にカウントされるわけです。
具体的には、幼児教育と小学校教育との接続の重要性を踏まえて、幼児期の終わりまでに育ってほしい姿の明確化や、それを受けた小学校の各教科等における学びとの関連性、粘り強さなどペーパーテストでは測れない力の重要性、そして幼児教育にふさわしい評価の在り方、こういった論点について幼児教育の充実の観点から検討が進められております。
ちょっとまた官僚機構についても、私は元々通商産業省という役所にいましたので関心ありまして、私も同様に、やっぱり二十一歳、二十二歳のときに受けた試験で、ペーパーテストでその人はどうのこうのという話は全く意味がないと思いますし、また、同じ省庁、役所にずっと居続けるというのも国益に全く反していると思います。
でも、英語の場合は、書くとか読むとか聞くまではペーパーテストというか、その日一日の試験でかなり能力を判断することができるんですが、特に、聞きながら話すというコミュニケーション能力についてはかなりの時間を掛けないとこれ評価できません。ですから、結局、受験科目からそっちはないわけですね。
御家族からの聞き取り、あるいはペーパーテスト、MRIなどの脳の萎縮状況などの画像検査などをして総合的に判断されると理解しておりますが、それでよろしいですか。